2018年、本当に色々あった。}

さて皆さん。
これ何点でしょうか?

一一七八九45 456(チー) ②②②(ポン) ロン 6 ドラ 發

まあお気づきかと思うが、役が無い。
よってフリー雀荘だったらチョンボである^^;

が、武中家の家族麻雀だとこれは「500点」だった。

僕と兄が麻雀を初めて経験したのが中学1年の頃。
元々小学生の頃から、親戚一同が集まったときに大人達がコタツを囲んでやっていたこのゲームに強い興味は持っていたが「中学校に入ったら教えてあげる」と親に言われていた。

13の時に最低限のルールを教わり、
その後は父母兄弟にて年に1,2回の家族旅行の際に家族麻雀もやるのが恒例行事の一つになっていたが、
無論ルールすら覚えたての中学生は手役なんて物をいきなり覚える事はできない。

最初は「とりあえずチーもポンもせずにリーチしなさい^^」といわれていたのだが、
それでは満足できずに不満を言った結果、このルールが追加されたのである。

まあ無論点数計算は勿論役すらしらない子供達が勝てるはずもなくいつも父にケチョンケチョンにやられていた。
でも今思うとロクにルールもわからない子供達相手に限られた休暇の中、こっちも楽しんでくれるルールまで考案して付き合ってくれた父が居たおかげで、
2000年代に日本初の双子のプロ雀士が誕生したわけであるw



父が40代半ばのときに僕等は生まれた。
すでに社会的にそれなりのスキルと地位を持っていた父は、なに不自由なく、むしろかなり恵まれた環境を僕等に用意してくれたのがこの年になるとはっきりわかる。

まあ当時の風潮もあって子育ては母に任せる部分は多かったけど、
それでも激務の中での貴重な休日を割いてくれた記憶も幾つかあるし、
仕事に家庭に色々と大変だったんだろうなあと自分が大人になればなるほどはっきりと理解ができ、年を重ねるほど父の凄さが身にしみる思いだった。

2018年9月、
その父が永眠に入った

近年徐々に徐々に衰えていく姿、子供の頃に感じた威厳が無くなっていく姿に心が痛かったが、
最後にあった日ついに目に光がほとんど宿っていない姿をみて、
「ああ、本当にそろそろ逝ってしまうのだろうな」と感じた。

覚悟はしていたけどいざその時が来て、
徐々に覚悟をしていただけに驚きというのはないし、
正直にまだ実感がわかない部分もあるけど、
何かぽっかり穴があいた部分もあり、
色々と書き表せない心境が多い。

あと数年元気でいてほしかったなあ、、、というのが率直にある。



思えば今年1月の雀竜A級戦、
「ひょっとしたら決勝にいる自分を見せる最後のチャンスかもしれない。麻雀プロの事なんて良く解らずとも自分の晴れ姿を見せてあげたい」
と対局において珍しく自分以外の人間の事を考えた。
そんな中での2日目最終半荘(12回戦目)、
「ここで踏ん張らないともう決勝は厳しい」って場面で同卓者に痛恨の放縦をした時、
色々な感情が交錯して久々にすぐに点棒を払うことが出来なかった。

そして今年のリーグ戦最終節が始まる前も、
「来年は自分の晴れ姿を見せてあげたい。もう理解できないかもしれないけど」と複雑な思いだった。
こうなってしまうと「勝つ事はできたけど1年遅かった」という思いも今となっては出てしまう。

なんか、、、、
もっと色々と思い出もあるはずだし、
書かなきゃいけない事もあるはずなのに、

気付いたら麻雀教えてくれたきっかけとか、
今の自分の麻雀打ちとしての晴れ姿を見せてあげたかったとか、

父からすれば
「麻雀なんかより、もっと他の事頑張って俺を安心させてくれw」とか言うのかもしれない。
「文章として晒すならもっと他の思い出書いてくれ」とか言うのかもしれない。

結局麻雀にたどりついてしまう自分、
こんなことをつらつらと書いているのが我ながら色々と度し難くも感じる。
でもやっぱ「何か書いておきたい」って感じたときに真っ先にこれが思い浮かんでしまった。





お父さん、良いのか悪いのか解らないけどあなたの息子は競技麻雀プロとしてそれなりにやってます^^;
もちろん会社員としてもちゃんとした生活もおくれるように頑張ってますので多少は大目にみてください^^;
いや、今後の業界がどうなるかで解らない部分もあるけど。

そして、
長い間本当に本当にありがとうございました。
ゆっくり休んでください。

こちらの記事はhttp://susumutakenaka.blogspot.com/2018/09/2018_27.htmlより引用させて頂いております。情報の真偽につきましてはリンク先よりご確認ください。