麻雀も人狼も関係ない雑学話 その15:リンカーンは実は平等主義者ではなかった、というお話}

明日の日付からちょうど210年前、
1809年2月12日は、
世界の多くの人達が知っているとある偉人の誕生日である。

エイブラハム・リンカーン。
第16代アメリカ合衆国大統領であり、「奴隷解放宣言」でアメリカ国内の黒人に対する人権確立の礎を築いた奴隷解放の父、
そして敵対勢力の支持者により1865年4月14日に暗殺されている。

と歴史の教科書には書かれている彼だが、
実は彼は平等主義者でもなんでもないどころか、かなりの差別主義者だった、という事をご存じだろうか?
実際に彼はアメリカの先住民であるインディアンにはすさまじいレベルの弾圧をしている。

その内容を簡単に言えば
その1
「インディアンさん。あんたら邪魔だから引っ越して。代々の土地とか知ったこっちゃない。でも迷惑料は一応あげるよ。」

その2
「ふう、引っ越したか。。。。迷惑料?もったいないからやっぱあげない。」

その3
「・・・・なに逆らうの?じゃあ処刑ね。リーダー格数十名、全員処刑。」

リンカーンの”People”にインディアンは含まれていなかった、といわれた位である。

じゃあそのリンカーンがなぜ黒人には奴隷解放という平等主義施策をとったのか。
彼がインディアンはキライでその他人種は好きだったから?
その可能性も0ではないが、これには当時のアメリカの経済事情があった=リンカーンは黒人の人権自体には大きな関心は無かった、というのが結構有力な説としてある。
これについて今日は簡単に述べたいかと。

※黒人奴隷問題は多くの歴史と側面を抱えており、ここに書く事もあくまで説の一つでしかありません。あしからず。



さて、
「南北戦争」という言葉はリンカーンとセットで聞いた事ある人が多いだろう。
この奴隷解放宣言の前後の時期、アメリカは南北に分かれて戦争を行った。
あまり教科書では明記されてないが、この時南部は「アメリカ連合国」という独立国家宣言までしてるのだから、本当にシャレにならないレベルでの分離だったのである。

その背景をちょっと書く。
当時のアメリカは南北で主産業が真っ二つに分かれていた。
・北部 重工業(白人労働者中心)
・南部 綿花栽培(黒人奴隷を使ったプランテーション農業)
そしてどっちが国に大きな富をもたらしていたか?
実は南部である。

当時は英国で産業革命が起きた影響で、綿花の需要は非常に高くなっていた。
特にその中心であるイギリスはインドを植民地化しての栽培だけではその需要を賄いきれず、アメリカの安価で安定した品質の綿花に対する需要も非常に高かった。
一方で北部の工業製品は対外貿易で大した利益は落としていなかった。
なんせ貿易相手の欧州、特にイギリスは産業革命直後でありアメリカとの技術差は圧倒的だったわけだ。
当時のアメリカはイギリスからの製品に高い関税をかけて国内工業の保護をしている状態だったといえる。

ただ「これからは工業の時代」と考えていたアメリカ中央政府は、
このような関税による工業保護はもちろんの事、
南部が綿花で稼いだお金をどんどん北部の国内投資に回していた。

まあつまり当時の南部には
「俺たちが稼いでる金をどんどん北部にまわしやがって!ちょっとくらい美味しい思いをさせろよ!」という不満が結構あったのだ。
そしてこんな時代に「自由貿易=関税の軽減、撤廃」という動きについての論争も起きていた。

先述のように北部は関税を撤廃されると英国製品がどんどん輸入されて困る。
一方で南部は自由化してどんどん綿花を輸出したい。
ますます世論は南北で割れていったわけである。
そんな中で北部側の政治家だったリンカーンが大統領に就任、
そうなると南部の主張はますます不利になる。
さらにリンカーンはここで奴隷制度廃止についても言及しはじめる。
改めて書くが、
・北部は奴隷に頼らない経済体制を強いているから奴隷制度は不要
・南部は奴隷が廃止されれば綿花栽培の農業体制=産業体制が瓦解しかねない
という事実、つまり「奴隷解放は北部にとっては大きな障害にならないが、南部にとっては大問題」という点、
そして国際的にも支援や賛同が得られやすい施策という点、
リンカーンの中に北部中心の経済体制を頑強なものにするための南部への攻撃意思が多少なりともあった感は否めない。

そしてこれらにより南部は北部から離脱して「アメリカ連合国」を結成、直後に南北戦争が始まる。

当初はこの戦争、南部が優勢だった。
なんせ南部は自分たちの死活問題から独立と戦争をはじめたわけで士気も高かった。
かの有名なリー将軍が指揮していたのもあり連勝を続ける。
、、、がしばらくたつと北部との経済力の差、そして重工業技術による兵器差により押され始める。

そして奴隷解放宣言、
これにより「黒人の奴隷化に拘る悪の集団」と他国にもみなされた南部は国際的に孤立、
そしてあっさりと敗北するのだった。

ゆうならリンカーンの奴隷解放宣言は上述のとおり北部有利な経済状況を作るための施策であり、そして南北戦争における「とどめ」に使われた、
という歴史的観点はぬぐえない、
リンカーンがインディアンに行った弾圧も考えると二枚舌感はどうしても出てしまう物なのである。



とまあ長々と書いたが、
たとえそういった点を内包していても、
リンカーンの行った偉業がその後のキング牧師の公民権運動等の有色人種の人権確立にむけた偉大な一歩であった事は間違いない事実である。
今後も彼の名前は教科書に刻まれ続けるだろうし、それに見合う素晴らしい行為だったわけである。

ただ、
学校の歴史の授業もリンカーンを偉人として書くだけでなく、
もうちょっとこういった歴史が持つ毒の部分を教えると、
もっと歴史に興味を持つ子供が増えるのになあ、
と個人的には思う、

そんなお話でした。

こちらの記事はhttp://susumutakenaka.blogspot.com/2019/02/blog-post_11.htmlより引用させて頂いております。情報の真偽につきましてはリンク先よりご確認ください。