ここでカミングアウトをしておきます。解説とかいりません。}

突然ですがここでカミングアウト。
僕は実は、RTDの麻雀見るときいつも音声オフにしてます。つまり実況・解説全く聞いてません^^;

これには理由があって、
けして「松嶋桃の声が聞きたくない」とか「多井・村上の解説いらない」とか思ってるのではなくw、
①同居してる相方が麻雀が解らない
②一方で相方はラジオ大好き
→ リビングに一緒にいる時「音声はラジオ、動画は麻雀、そして気ままに会話もする」というライフスタイルになっている為である(同居している間に気付けばそうなった)。
本音は解説のトークも楽しみたいのだが、まあそこまで大きな問題なく番組を楽しめている。これつまり僕が麻雀番組見るうえで解説というのは必須ではないという事である。
さてちょっと話をいきなり変える。
昨日テレビにて、
外国人初の吉本芸能学校卒業生のお笑い芸人として話題になった「チャド・マレーン」さんが特集されていた。

10年ほど前はその肩書からちょくちょくテレビでも見たが、2018年現在お笑い芸人としてのTV出演は微々たる物。
しかし彼は現在月収200万を稼いでいる多忙の身との事だった。
そしてその仕事内容は何かといえば、「バラエティ番組の海外向け英語字幕作成」だという。
http://www.tbs.co.jp/tsuburenai-mise/onair/onair_contents_20180729_4.html



海外の人に日本の作品、映像・映画・ドラマとかバラエティ番組を楽しむ為の面白い英語の字幕を作成するのが彼の仕事との事。
現在日本のこういった番組の海外人気が高いのもあり仕事は後を絶たない状態らしい。

そしてここでちょっと面白かった点、そして共感できた点が、
「大事なのは直訳するのではなく全体のニュアンスを伝える事」というものだった。
その例としてあがったのがピース又吉原作の「火花」、
この中で主人公達が「西郷隆盛」を題材にボケ・ツッコミをしているシーンがあるのだが、
①セリフを出来る限り正確に直訳
→ 全くウケない。外人はそもそも西郷さんを知らない。
②西郷さんをケンタッキーのカーネル・サンダースに置き換え、細部のセリフも変更。
→ ウケる。

さて冒頭の話も含めて今回言いたい事を。

僕は麻雀の番組を見るときに解説を必要とはしない。でも多分解説が無きゃ楽しめない人は多数いるだろう。一方で僕は将棋の番組を見る時は解説なしは無理である。楽しむための掴まなきゃいけない情報をキャッチできない。

つまりこういった見世物には「物事を伝える為に必要な情報を伝達する」いわば「伝え手」というのが介在しているケースが多々ある。
「伝え手」に必要なスキルはまず「事実を相手に楽しめる形で伝える」という事、そしてそれをするにあたり認知しておかねばらないのが重要点が
・伝え手の能力は原作者よりもギャラリーのウケを左右するケースがある。
・事実を出来る限り正確に伝える事が良いとは限らない。不必要な情報を省略し、編集して表現することが必要。
という点である。

日本人の古来からの性格なのかどうなのかわからないが、
「伝え手」について「出来る限り事実を正確に伝えなきゃいけない」という意見を結構見かける。ただこれ間違いだと主張したいのが本記事の主旨である。
正確に伝えるのは二の次で良い。
まずは「聞いてる人が楽しめるか」これが第一。(まあ行き過ぎると捏造になるかもだがw)

まず伝えなきゃいいけないのは
・重要だと思うファクターを軸にした全体のニュアンス
・伝え手自身の意見
だろう。
「客観的な意見だけ言うべき」って人たまに見るが、これもはっきりと否定したい。
早い話、そう思う人は僕のように解説オフにして対局動画だけ見りゃいいのだ。
「この解説はレベルが低い」と思う人も同様で、解説のレベルが本当に把握できる位の麻雀力を持つ人は解説がなくとも対局を楽しめるのだ。(”本当に”把握できるならw)
日本人が日本のバラエティに字幕や副音声なくとも楽しめるのと同じである。
実際僕は冒頭の通り、解説無しでもそこで繰り広げられてる理論や駆け引きを自分である程度拾えると思っているからオフにしても大きな問題もない。
まあ個人的には解説という味付けが無いから寂しいし、1人で見る時はもちろんオンにしているが。



さて総論
「伝え手」とは「把握能力がない人への手助け」として存在している。同時に素材に対する味付けの役割でもある。
客観的意見だけを求めるのなら麻雀対局に解説は不要だし実況だけでいい。
そして観戦記については東1局からオーラスまでの全局レポートだけ書けばいい。

でもそんな物が面白いと思うだろうか?
というか僕個人が「一番読んでてつまらないと思う観戦記」の典型が、東1局から全局についてレポートしてる観戦記である。
ただ文章が長くなるだけだし、何より観戦記者自身の思考が全然伝わらないケースが多い。

「面白く伝える」には
①情報を正確にキャッチする高い知識
②ニュアンスを解りやすく伝える表現力(省略する力、作り変える力)
が必要である。
麻雀で言うならそれが備わってるのが「良い解説」「良い観戦記者」なんだろう。
「私見を入れるな」というのはズレた話だし、それを不要と思う人はそれらをシャットアウトすりゃいい。



そして最後にこの事実から出されるもう一つの意見は、
「ギャラリーの多くが”つまらない対局”と感じた場合、その責任の半分以上は解説にある」という点である。
僕は現役の競技選手以外が解説をやる事に結構反対派である。
まあ片山先生ともなれば別格だが、選手としてその場に立った事が無い人はそれ故の視点欠落の多さもさることながら「”自分の解説のせいで試合が台無しになるかも”という責任感をもってくれない」というケースを何回か見た記憶があるからだ。

たとえば先述の「火花」に直訳された字幕や拙い字幕がつけられて、
それがもとで花火が外人に酷評されたとして、
字幕作成者が「作品がうけなかった」と他人行儀に言ったら、又吉が怒っても不思議じゃないだろう。

何かを「伝える」というのが、
原作者と同じだけの責任を負う事、
その事をなによりも明確に示しているケースを見て、改めてその大事さを感じたのであった。

そういえば俺まだ「火花」観たことなかった。今度見ようかな。
チャド・マレーンさんの字幕も入れて比較して見てみたいかも^^;

こちらの記事はhttp://susumutakenaka.blogspot.com/2018/07/blog-post_30.htmlより引用させて頂いております。情報の真偽につきましてはリンク先よりご確認ください。